私が歴史に思う事…。

おはようございます!
山田です!元気です!

最近ともさんに会ってなくて深刻なともさん不足なのに、
ともさんダイエットしてるらしいやん…ともさんが減ってゆく…
しかしこんなことで悲しんでいられない。
物質としてともさんが減っても、ともさんはともさんであることに価値があるので問題ないです。
ともさん大好き。

最近、私は生きてるものにしか興味がないのを知りました。
(文脈とか知りません。共感も理解も求めません。文章ではなぜだかこんなに強気です。今回もそんなスタンスです。)

死んだ人を思うことはつまり生きてる人の中でまだ息をしている、変わり果てた死んだ誰かを思うことなんじゃないかな。
歴史のロマンってそれだと思う。
死んでも誰かの心に生き続けるとか嘘だ。それは絶対別人だ。
命の伝言ゲームが新しい命を作り続けているのであって、永遠の命は存在しません。

私が惹かれてるのは常にオリジナルじゃない。
人を好きになったとして、私が好きなのは私の中のあなたであってあなたじゃないんだ。
だとしたら自分を本当に愛せるのは自分だけだよ。他人に求めちゃいけない。
肯定を他人に任せて誰でも愛せるようになったら死んだと同じ事だ。

解り合えないってことを解ってくれる人がわたしにとって大事な人なんじゃないだろうか。
その人だけが生きてるわたしを尊重してくれてるんじゃないか。
そんな人を好きになりたいんです。本当は。
でも寄り添う心地よさを知っているから自分を大切にすることから逃げているんだね。

誰かと生きる限りいつもどこか寂しい。
寂しさを紛らわせるために別の寂しさに縋がるのを繰り返し、
かろうじて生きているような、そんな一寸先は闇の日々だ。

あなたのことを、あなたの言葉で全部聞いても理解できないと思い知ったら、あなたにもっと近付けるだろうか。

そうも思うけどいつも期待が邪魔をするんだよな。

私は誰かのなかの誰かに惹かれることが多いです。二次創作に魅力を感じます。
そんな友達の友達みたいな関係が1番遠慮なく共感できる娯楽になる。

例えば、誰かが描いた新撰組が好き。
史実はわりとどうでもよかったりするんです。あなたの目に写った新撰組に興味がある。
歴史上の人物が二次創作で新鮮な命に蘇ったなら素敵。というかそれしかないんだ。命が繋がる方法って。

どうせ止まれないならどんどん変わってしまえと思います。
いいものは勝手に残るだろうし、それにいいものだっていつかは腐るのだ。
その匂いに敏感でないといけない。

生きてるものにしか興味がないというか生きてるものが全てだった。
君が生きていることでわたしは生まれる。
生きてるだけで誰かを殺して産んでいるんだよ。
無邪気な殺意だ興味ってやつは。
それと同時に母親でもあるから、罪はチャラにしてあげた。
だからこの気持ちも純粋なものだと思うことにするよ。